※一議員としての所見。
【総裁選挙のゆくえは・・・戦後処理・外交と領土】

 世界の海、日本丸は国民を乗せて何処に向かうのか・・・?
 民族・宗教・食料・資源・技術・金融・経済発展国と途上国、政治体制の違いなど様々な対立軸が立ちはだかる中、日本丸の操船は何処に向かうのか、戦後、61年間、先人の歩んできた歴史の道を安易に批評する事は難しい事です。
 日本もそれぞれの関係国も自己に都合の良い解釈と教育を体制維持のために創りあげているが故に対立を煽る事になっている。
 わが国に於いても日本史・世界史、複雑に絡み合って戦火に導かれた近代史を私たち世代も 含め、ここ六十年余の教育のあり方に疑問を感じています。
 自棄・自虐的に日本だけが悪い、悪かったとは思えませんし欧米をはじめ中国や韓国などの 第2次大戦の戦勝国の論理だけを是とするものでもありません。
 と言って主体性のない、強いものに媚び、大衆迎合するような今様のマスコミ体質も好きでは ありません。
 韓国・中国の日本批判を金科玉条のごとく騒ぎ立てず一歩引いて冷静かつ客観的な視野で報道 姿勢が望まれます。
 安倍晋三官房長官、麻生太郎外相、谷垣禎一財務相の3氏の争いになりますが三者三様の長短 があり選択するのも難しいと感じています。

 アジア外交と財政の厳しい環境の中にも毅然と是々非々の主張を貫く姿勢が今後の日本に不可欠です。
 メディアの姿勢はぬるま湯に浸かって嫌なことは避け、勤労や税負担は回避する、一部、国民や評論家と称する輩の我がままと厚顔無恥に迎合していると感じています。
 戦争は誰でも嫌で反対ですよ。
 このままでは日本の将来は見えず、3等国のままで推移して行くでしょう。

 北方領土問題も4島一括返還と正論だけを通していれば永久に返還はないでしょう。
 私は政治的決断をロシアに対して宰相(総理大臣)はすべきだと思います。
 8月16日納沙布岬沖、貝殻島付近で銃撃、一名死亡、拿捕されるという事件が起こりました。
 現在の法制の中、国境の厳しい現実を見せつけられました。
 戦後40件の銃撃が貝殻島周辺で起きています。
 先に述べたように私たち地方議会人ですら国土・領海の日本国としての主権・主体性に責任を持ち相手国と交渉すべきとの想いを持っています。
 まして国政を担う者は大胆な決断を国民に提示し、砂上の楼閣のごとく結論の出ないものを絵空事のごとく繰り返す事だけでは国政の舵取りに臨み責任を果たしていると思いません。
 嫌な事や難題、非難されそうな事に対して身をかがめて避け、曖昧に切り抜ける政治姿勢では国益を主張し守る事は出来ません。
 国後、択捉、歯舞、色丹の4島の内、ロシアの提案する歯舞・色丹の2島返還では目くそ・鼻くそ程度(失礼なたとえですが)の面積と領海域でしかなく2島返還では全く意味がありません。
 少なくとも国後島と択捉島の間に国境線を早急に提案することによりロシア・日本双方に等分的なメリットと時間的な解決が可能になります。
 共同管理や開発はきちんと交渉が確立してから行うべきです。
 商業ベースを優先すると結果的に実を失う恐れがあります。
 面積的には正確では有りませんが3島を取り戻しても全体の半分に満たない領域です。
 目と鼻の先にロシアの機銃が並び、常に根室海域の漁民や道民にどうしたら安心して生活が出来るか真剣に発言して行かなければ無策の国政といわざるを得ません。
 旧島民も高齢化、更には四散していく中、先送りせずに究極の妥協案として図るべきです。
 竹島、南西諸島地下資源など平和外交、刺激しない等と消極的な戦後外交が本当に平和に貢献しているのか大きな疑問を持ちます。

【靖国神社参拝の報道について】

 8月15日文京区シビックホールに於いて東京大空襲慰霊式典に参加し23区議長会代表として献花させて頂きました。
 母方は蔵前の店を東京大空襲で失いました。
 父は焼夷弾・爆弾が雨霰と降りそそぐ中、蔵前地区の警防団に警察官として火中を走り廻り、辛うじて助かったと聞きました。
 母の弟も南方で戦死、私は父の郷里・庄内に母の身内と共に疎開、戦前・戦後の親たちの苦労を伝え聞いています。
 戦禍はリーダーの判断の誤りで国民に大きな犠牲を強いることになります。
 戦場の敵、味方、軍隊のみならず相互の国民に大きな痛手をもたらします。
 勝者にも敗者にも大きな傷が残る不幸なことです。
 しかし争いの火種は何時でも何処にでもあります。

 靖国について報道を通じ色々、知りました。
官軍の鎮魂から始まり、ロシア、清国など外国との戦いに没した兵士の慰霊、大戦に散った人々を祀るようになった靖国神社参拝について賛否ある中、小泉首相の公式参拝報道に民放は批判報道だけが目立ち、立場を替えての思いや発言を無視するかのようなあり方に疑問を感じます。
 NHKは冷静に双方の意見を伝えていると感じました。
 戦争の悲惨さを言うだけでは解決になりません。
 ポリシーと信念を持つ事とは別で何か大切な報道の有り様を見失っていないでしょうか。
 昭和天皇のメモ一つで、したり顔で発言する知識人、文化人と称する方々のカメレオン的な 態度には笑いをこらえきれません。
 軍部に抗し切れず開戦を承諾した文民をも含めリーダー達の責任追及が東京裁判により回避 され、戦犯論議もタブー視、触れることなく過ごして来た日本の姿勢が今、問われているのだと 思います。
 1972年の日中平和交渉で田中総理が謝罪し、以来、2005年の小泉総理まで村田総理を含め 10回に渡り歴代の総理がアジア諸国訪問時に謝罪し続けています。
 サンフランシスコ条約締結後、賠償や経済融資など成約の下に当該国に責任を果たして来ました。
 自国の体制維持の為に日本に執拗に歴史問題を振りかざす、その国の歴史、有り様を精査する方が良いのではないでしょうか。
 外交、内政も国政を担う者は独りよがりせずに大衆に迎合することなく冷静沈着に行動しなくてはならないと思います。
 何も云わずに下を向いて都合の良い所だけ出て来るなと一部の政治家や識人に言いたいです。



【地方自治体の議員として国政に望む】

・国民年金を基礎年金として65歳以上に納付の負担無しで生活実態に合わせ、現行の年間75万円支給から140万〜150万円程度(月額13万円程度)の支給を固定の基礎年金として設定を考察する。

・生活保護等の支給も限度額は基礎年金と同等とする。

・基礎年金制度を個人納付からはずし消費税・間接税など国税で見合った数値で国民全体に負荷する。(国民として生活維持が出来る下限をキチンと設定する)

・共済、厚生各年金との整合性を計る為に基礎年金以上の2階建ての部分は加算・加入を任意の個人年金とする。

・介護保険、医療保険等も個人的な負担納付にするか国家的な医療介護の無料化にするかを負担のあり方の合意を得て制度の改革をする。

・家督制度のあり方も相続を含め親の扶養、扶助により何でも均等の現行の権利のあり方や親の扶養義務を分離により果たさない所帯には所得の扶養控除額を下げ、税負担を上げるべきと考えます。親に対しての家族(子供)に一定の責任付加を考えます。

・税を払える者からだけ加重に集め社会制度を維持する事は必ずしも公平な担税とは云えない。

・教育も含め、世界の中の日本、国民、地域住民、家族としての有り方を改めて歴史文化、自然、共生を学ばなくては互助尊敬の人としての生成をなす事が出来ません。

・これからの少子高齢化に即した社会保障や国民の負担のあり方を一つ、ひとつ制度改変と全体の骨格、組み立てを国民に明確に示し進める事を政治は迫られています。

・私たち一人、ひとりも自我的な考えと同時に周囲に一歩、譲る気持ちを互いに持つ必要があります。
 利己的で周囲に害を与える者は排除されてしかるべきだと思います。
 個人情報の過敏・過剰とも思える現在のエゴは個で生きる立場、社会集団の中で生きる立場の責務を全く果たさない事は誤りだと思う。
 特に情報の秘匿は公秩序維持や国家としての国民の安全と確保に不可欠です。
 国の統計調査にも10%以上の人が非協力な対応であり、個人の権利とだけを主張し社会的責務を果たさず、法的に権利だの私権侵害等、思想的に偏狭的な文化、学者、法曹、政治、マスコミなど識者も無責任な言論も実しやかに伝えられ日本国民の行く末が危惧され、憂いを感じます。

・限られた時間と命、知識と経験、お金を次の世代の為に大事にしましょう。

・多田区長就任時の本区の起債(借金)は起債残高847億円、基金(貯金)が基金残高321億円でかなり厳しい財政環境にありました。
 それから7年、区では事業や組織を見直し努力をしてきました。
 区民にも多くの協力の痛みを甘受していただきました。
 区議会も自ら定数の削減や経費の見直しを実行し、結果として16年度決算で起債が起債残高579億円に基金も基金残高622億円と財政の改善を実際に進めてきました。
 これからも先行きを充分に見据え、区民生活に支障をきたさぬ様、議会人として臨んで参りたいと考えています。

【亡父の軌跡と私】

 国政の場に臨む人は地方行財政に専念する地方議会人の施策に対する考察や先見性、アイデア や閃きにもっと耳を傾けなくてはなりません。
 多くの情報とそれを分析、判断し取り入れ施策に繋げる力を発揮できなければ政治家として評価されることはありません。
 大切に出来なければ従来の踏襲的な変化に欠けた政治で終わってしまいます。

 先日、町会の夏期行事反省会で近所の主婦の方々と話す機会がありました。
 松島四丁目公園って渡部さんのお父さんが苦労して造ったと聞きましたよ、話題が踊り会場の公園の話題になりました。
 父が没して3ヵ月後昭和57年12月開園に完成した通称「パンダ公園」、それまで町内に広場が無く道路で餅つきや盆踊りを実施していました。
 この公園は宅建会社が購入し建売住宅の建設が進められる予定を企業や区当局にお願いし区で買い上げて頂き設置してもらいました。
 当時、3億円程を要して設置されました。

 生前の父・重美(議会4期現・67歳・胃癌で没)とは世帯を持ってから別に暮らしていました。
 母の癌告知を受け両親と3世代同居しようと決め24坪の借地に立つ実家に戻ることにしました。
 サラリーマン、子育て中の私が住宅ローンを組むのは大変でした。
 やっとの思いで立てた家も親に立てて貰ったような事を云われ実に腹立たしい思いでした。
 父が母より後から癌告知を受け、先に逝くとは考えてもいませんでした。
 実家・松島に戻り26年、父と同様、町会の一員として参加し生活しています。

 私は高校生時代から町会の手伝いをオヤジに云われ葬式のテント張り、イベントの道具運び等、下働きをさせられました。
 何で俺が他所の家の手伝いを・・・と反発もしました。
 でも、今の仕事の原点を父から習ったのだと感じています。

 前に述べた、近所の若い主婦から私が嫁ぐ前の渡部さんのご両親を知りませんでしたがお父さんが亡くなられ、葬儀の車が町内を廻った際に家のおばあちゃんや町の多くの人が手を合わせて見送ったと聞かされましたヨ。
 と、云ってくださいました。
 お母さんも町の皆さんから尊敬されていましたよと云われました。
 道徳・教育・厳しさと修練を強いずに自主的な姿勢に任せる・・・何も云わない父と人一倍にぎやかな下町育ちの母でよく叱られました。

 良き時代、良き下町、町の人々に守られて生きた父母だったと感じています。
 親の七光りを受け、仕事が出来る、両親と町に感謝しています。

【高速道路を中土手へ路線変更・実現】

 30年ほど前、父から首都高速道路中央環状線の新設で土手沿いの町内の数百の家々が立ち退きになると知らされました。
 その当時、私はゼネコンの営業マンとして建設省(現国土交通省)・関東地建の出先、荒川や江戸川、利根川など水利の管理・工事事務所に通い続けていました。
 首都高速・東京都の計画は単純に中川放水路左岸の民有地の土地家屋を買収し、解体、撤去し工事を進める方針でした。
 保障金などの経費や時間をかけて立ち退きを迫るより、荒川・中川放水路の間の中堤防に高速の路線変更をする方が安上がり、短時間、その上に街中から見上げるような日照をも阻害する構造物と自動車の騒音と排気の害を密集市街地に持ち込ませない方が良いと父に進言しました。
 当時、区議であり松江地区の連合町会長をしていた父は当時、共産党系の美濃部都知事に対し 都議会で江戸川のマムシと言われるくらい質疑で粘る、田島 衛 議員に相談し都議会で取り上げてもらいました。
 都側は連日、田島宅や父の家を訪れ、当初計画での実施を願い迫りました。
 路線予定エリアの各町会長や与野党を超えて区議会の新旧議員に路線変更運動への参加を求めました。
 葛飾区の議会や四つ木地区の連合町会にも参加を求めましたが都が決めたことに逆らっても無理と黙してしまいました。
 建設省荒川工事事務所まで中堤は川の真ん中で地盤が悪いからと既存計画で迫りましたが私は大正、昭和と治水工事で人工的に掘削した川だから端も真ん中も地盤の状況は同じと伝え、突っぱねました。
 結果、東京都は路線の変更を認め、西葛西から中堤に入り総武線の北側の葛飾区境から河川左岸の街中を通る事になりました。
 立ち退いた人、道路際で生活に支障を来し困っている人、私たち江戸川区側は今になって良い選択をしたと確信しています。
 立ち退き保障を当てにしていた人からの無言電話など嫌がらせがしばらく続きました。
 結果、形として葛飾ハープ橋として中央環状線が弧を描いて北に向かっています。
 政治はアイディアと閃き、実行へのプロセスが大切です。

 その後の阪神淡路震災に見た淀川左岸の液状化による護岸崩壊も議会新人時代に前区長 中里さんに安全に対する質問をし、都の建設局や建設省治水担当の技官の援護を頂、耐震護岸の整備に結びつけた物です。
 予算執行は都行政ですから都議会にも援助を戴きました。
 今後、スーパー堤防の実現が私たち0メートル地帯に居住する区民の生活を守ることにつながります。
 江戸川区の50%位は干潮時でも水面下にあります。満潮時では70%位です。
 船堀から松島への中川放水路左岸の管理権が都にありますがこのスーパー堤防の予算規模から想定すると国の直轄工事として早急に進めたく関係官庁、議員に働きかけていきます。

『終わりに』
【区議会便り等について】

 区議会便り(通常議会開催時・4回と人事改選の臨時議会・新年号)計、6回の発行がされています。
 新聞折込の定例会の便りをご覧戴くと質問と顔写真が順次掲載されています。
 縦書きから横書きに、色やデザイン、構成も少しずつ議会便り委員会で改修されてきました。
 年に4回、通常の本会議が開かれ第一会派・自民党から公明党・市民クラブ・共産党と質問順番が決まっており、会派の人員数により各党の質問持ち時間も決まります。
 各党の持ち時間の範囲内で自民党も一議会に2〜3名の議員が質問に立ちます。
 会派の質問人員・時間は会派ごとの持ち時間内で決めます。
 会派は4人以上が議会構成上、交渉会派として認められます。
 委員会の委員長などの役職も構成人数で決めていきます。
 18人で構成する自民党では予算、決算時の本会議質問者が3人位、通常は二人程度が質問に立ちます。
 概ね2年に一度程度の質問回数ですが一、二期の若い議員さんには機会を増やしていますが年に一度位しか機会がありませんので質問内容も充分時間をかけ資料を精査し原稿を作り本会議に臨みます。
 会派構成をしている政党・政策集団としてのチーム行動がきちんとしていますから質問原稿は議員個人として作るもの、同僚議員からの質問依頼原稿や会派として政調会で会の意見として質疑するもの等、形は様々です。
 議会便りの質問文の長さ、回答の行数はあらかじめ申し合わせで決めます。
 紙面行数はは議員の数に比例して与えられますが会は構成が出来ず一人で行動している議員にも一定の権利保障がされています。
 しかし、質問時間も議会便り掲載文字数も限られる為に質疑内容については私個人として疑問に思っています。
 毎回、ほんの数分でも議場に登壇し発言さえすれば議会便りに顔写真と、質問タイトルと数行の回答だけは毎回、確保されます他区の議会では議会便り掲載目当ての毎回質問の権利要求に各回の持ち時間をまとめて年に1〜2回登壇のルールを決めている区もあります。
 本区でも提案し検討されていますが議会人の政治活動を制限出来ないと云う声と常識的な内容にまで制約すべきだと意見が割れています。
 今後、CATV放映も去年から導入を希望し現在、検討中ですが小生から見ると議会便りの掲載と同じように一人会派の行動を制約が出来なければ自由と権利と言う主張で際限の無い無秩序な議会運営になりかねません。
 TV放映も全中継・録画・編集と様々な方法を検討していますが18年度中に一度、試験的に実施したいと考え各会派の幹事長さんに依頼し審議しています。
 来期、19年度には区民ニュースばかりが目立つCATVですが区議会の放映を序々に高めたいと議会で真剣に議論しています。
 議会も透明性が高まり議員自体の心構えも一層の向上が図れることと思います。
 議会便りもTV放映も議会の果たす役割を住民の皆様に正しく受け入れて頂けるよう、又、区政執行への議会の関わりが見えるよう努力をしている一環だと理解を賜りたいと思います。
 本来、自治法上56名の議会定員を来期は44名で臨む事が決まっており全国有数の削減率で働いています本区の議員を是非、見比べてより多くの区民に議会を見つめて欲しいと願っています。